流行予知に関する一考察 3

 当ブログでは、これまで曖昧な感覚にたよっていたファッションの科学的定義を試みる。ファッション業界には、科学やら定義などというと拒絶反応を示す者が多くいる。だが、成長がとまり構造的不況に陥ったファッション業界では、感覚にたよる従来のやりかたでは生き残ることさえ難しくなっている。そこで私は、科学的思考のできる、より文明的で知性的な人材を育てる必要があると考え、研究内容を公表することにした。

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< 個は自由である >
 前節で、ファッション(流行と称される社会現象)とは情報の共有を起因とする価値観や行動の一様化現象だと述べた。
しかし、それが成立するには行動を許す自由な環境が必要なのであり、自由なくして社会現象に多様性は発現しない。
では、自由とはなにか。それは、何者にも邪魔されることなく意のままに選択を行使できる状況・・・つまり、自由とは「選択」を意味する。
個が意のままに選択を行使すると、それは個性として誰の目にも明らかとなる。 < 社会とは非自由である >
 我々の住む宇宙は集合と秩序が対でセットとなっている。いかなる集まりであれ、集合には秩序が生成される。
人の行動も例外ではなく、コロニーが形成されると自然発生的に秩序が生まれ、それはやがて個の行動を規制する。
社会とは単純な個の集まりではなく、全体を統制するルールとして個から切りはなされて自律するものであり、それは常に自由の抑制として機能する。 < 揺らぐデザインの限界点 >
 個にとってファッションとは自由そのものである。しかし、社会において個の選択のすべてが許されるわけではなく、ファッションの構成要素(色柄・素材・形状)は所属する社会固有の秩序(制限)に準じることになる。
そこでファッションは、個(自由)と社会秩序(非自由)のはざ間で揺らぐ波としてイメージすることができる。そしてデザインとは、「社会が許容する要素で構成される嗜好の一側面」と捉えることができる。
これを念頭において、社会秩序による抑制や個の嗜好の揺らぎによる選択を観察することで、ファッション(流行)の発生点や消滅点を正確に検知できると考えている。

つづく